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大阪市鶴見区の痛みと痩身は波鍼灸整体院

子宮頸がんワクチンの副作用の苦痛を乗り越え仕事をはじめだした高原さん

2017年8月13日

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子宮頸がんワクチンの副作用でしんどい思いをしてきて

仕事は始めるほど元気になられた高原さんにお話をお伺いしました。

 

どのような病気でもそうですが、

本人はもちろん家族の負担も大きくなります。

 

高原さんの症状は、朝方の5時頃まで

痛みで寝むれず、お母さんがマッサージして看病していました。

 

 

症状が軽く成るに連れ、高原さんの心も明るくなり

看病するお母さんの負担も和らいできました。

 

高原さんの希望で、同じ症状で悩む人の解決方法の1つとして

自分の体調の変化が、

 

「今、苦しみの中でどうしてよいかわからない人の役に立ちたい」

という思いからこの対談と動画を公開しています。



子宮頸がんワクチンの副作用が出る前、どのような日常生活をおくっていましたか?



高原さん:

元気な頃は毎日外であそんでいました。
公園行ったり友達とあそんだり、毎日学校で歌をうたっていたり

梨本:活発に過ごしていらしたということですね。

 

高原さん:

はい。中学校の頃は運動会で副団長もしていました。

 

子宮頸がんワクチンの副作用が出た頃の症状をおしえてください。

高原さん:一番最初におかしいな?と思ったのが自転車にのっていたら、いきなりめまいがしてそのまま電柱柱にぶつかっておもいっきりこけた時「あれ?」って思って。

 

そのあと少したってから学校の階段で同じようにめまいがして転んで「おかしい」と思っていたけどそれがワクチン(の副作用)とわかrなかったので謎のままでした。

高原さんのお母さんも一緒にきてくれています。ご自宅ではどのような症状でしたか?

 

お母さん:階段を降りてきて出かけようとおもっていても、急に突然めまいがしてそのまま座り込むように倒れて、そこから20~30分うごけなくてずぅ~っとその状態で。

そのころ本人から)聞いた話しによると、見ている視界が突然まっ逆さまに見える

「見えているものが全部まっ逆さまに見える」というのと
「見えると同時に、そのまま(の状態で)立っていられなくて転けてしまう」

そのまましばらく動けずにました。


高校1年生の終わりの2月。春休み前に

 

(子宮頸がんワクチン)の1本目
それから3月に2本め
そのあと、夏にも3本め打ったんですけども、症状がそれのせいと気が付かなくて

始めて(症状が)おこったのが春休み前。

ちょうど春休みが自転車でよく自転車で転倒したとよく聞いていました。


そこから学校からしょっちゅう電話がかかってくるようになって、

2年生の時倒れたからスグ迎えに来てください。


保健室に寝ています。というような電話が

頻繁にあって、よく学校に迎えにいっていました。



よく病院にも連れていってたんですけど、

あっちこっち病院いくんですけど、
どの病院も「どこも何もない」と、言われるんです。


症状があっても「何も悪いところがない」から偏頭痛かな

といわれたので偏頭痛と思っていたら
ただその日にちがそのまま過ぎてゆくだけでした。


高校2年生のときは、授業もほとんど受けることができずに

朝、学校に行こうと思っても起きれないし
しんどい、熱っぽい、いつも熱がある状態でした。


そのような理由で進級できませんでした。

 

3年生にあがとき、進級できなくて「そのままそこにダブって通うのが嫌だ」ということで通信制の学校に移動してそこで単位を無事とって,同じ年の子たちと同じように卒業ができるようになったんです。


卒業する頃に大学にいきたいということで大学にもいったたんです。

いったけど夏前ぐらいからまた頻繁に倒れるようになって、

学校でも倒れて救急車で運ばれたりとか、「突然倒れる」「意識がなくなる」というのが続きました。

 

結局大学もいけなかったりという日が続いて単位が取れず、3年生のときまで籍はあって、行ってたけどほとんど行ったり行かなかったりとかで結局やめてしまったんです。


症状がだんだん変化していったのが、一番最初の高校2年生・3年生の時は、

よくめまいとか意識がなくなって

アルバイト先でも救急車呼ばれて運ばれていたのが

 

 

大学生になる頃、18才のときから手の震えとか

突然体が震えだしたりとか、息が苦しくなったりとか夜も眠れない、苦しいとか動悸

 


高原さん:

心臓ばくばくなっていた。熱が3ヶ月間38度5分続いたりとか


お母さん:

病院にいっても不明熱と言われて、1ヶ所の病院だけでなくて、

とにかく何ヶ所もその頃病院をまわっていろんな病院にいったけど、結局なにもなくて、、


そのあと一番ひどくなったのが、

平成28年の8月1日からもっとひどくなって「体中の痛み」

 


高原さん:

最初肩だけやったのが次の日には腕になって、

その次日に腰になって、その次の日、膝になって
次の日は、足首・手首・鎖骨が痛くなったから

 

 

整骨院4軒に朝晩いって、夜中ももみほぐしとか行ったけど
どんどんひどくなっていくから日赤(日本赤十字病院)にいきました。


お母さん

:日赤にいったころには歩くことが困難になってて

車椅子かりて、車椅子で診てもらっていました。


夜も寝れなくて毎日朝の5時ぐらいまで起きていて

そのままあまりにもしんど過ぎて、そのまま疲れて倒れ込むように

寝るという状態で不眠症でずっと生活していて。



日赤病院ではいろんな検査をたくさんしてくれたけど、

最終的には多分子宮頸がんワクチンの副作用かな?で終わって、

自分の病院では診れないから他所に行ってください。



と、いわらたので大阪市大と、次に行く所を探した時にたまたま、

お友達が「伊勢の赤十字病院をテレビしているのを見たから

ぜひ一回いってみて」と、いう電話があったから


で、伊勢の日赤に電話したら「紹介状があれば診ます」ということで

大阪日赤に紹介状をかいてもらって予約していったのが、

そこまでたどり着いたのが28年の12月。

 


そこから検査入院3泊4日して検査結果がでたのが、

28年の12月23日に間違いなく子宮頸がんワクチンの副作用で

「脳に障害がある」と言われました。


梨本:どんな障害でしたか?


お母さん:

HANS症候群(HANS:ハンス症候群)(ハンズ)と診断されました。

子宮頸がんワクチンの副作用で苦しんでいた時の気持ちはどうでしたか?


高原さん:

毎回病院で精神科へ行ってくれと言われたいたから

「あ~頭おかしいんかな?」と、思っていました。

 


学校とかバイトとかでもみんなと同じことをしていてもスグ疲れるから、「なんで皆んな、こんだけ学校も行ってバイトも行って遊びも行ってて、寝ずにオール(徹夜)していったりしていてもなんで皆んなそんなに元気にデキるんやろ」と、ずっとすごいなと思っていました。

 

「自分の意志がよわいからかな?」と思っていもいました。



まわりにも自分に甘いといわれ続けてきていたから、確かにそうなのかな?と、ずっと思っていました。


それが今回、原因がわかったから

「原因がわかったときは親とかは泣いていたけど、自分は嬉しかった」

 


梨本:わかったから?

高原さん:

そう。喜んだ「あぁ~ ちゃんと病気だった」「頭おかしかっただけじゃないんや」とおもったから嬉しかった。

 


やっと病気、病気かわからないけど病気と言われて後は治療していくのみ。

 

じゃー「治ったら皆んなと同じようにすごせるんや」と、思ったから今までは病気ではなく精神科と言われて気持ちの問題とか言われてきたから、治し方がわからないというか「自分でもどうしてよいかわからなかった」んやけど、やっと病気という判断がついてくれたおかげで「治療していったらこれは治るんや」「みんんと同じように過ごせるんや」と、おもったから嬉しかった。

お母さんは、どうする事もできない状態でどのような精神状態でしたか?


お母さん:

まずはじめに「なんであの時打ったのかな?」というのがずっーと思って「なんで打ったんかな?」


予防接種っていままで打ったことポリオとか生まれた時うっていたけど私は日本脳炎はうたせていなくてやっぱり怖いというイメージがあってうたせていなかったのに、「なんでこの頸がんワクチン」「なんでうたせたんかな?」

まわりの情報とかテレビ、国会とかでもすごくこれから人工増えると、取り上げをすごくしていたから当時。


最初お金がすごく高かったのに、突然無償化となったから。ちょうど年齢的に最後(何歳から何歳までのはば)の時で、
「あっ 今しかない」と、おもってスグにうってもらいました。


今、思えば「なんであのとき」という後悔と

そのあと全然気づかずにスグ打ったときにでも症状が出たときにスグ気づいていたら,2本目3本目とうっていなかったのに「なぜ、あのとき気がつかなかったのかな」疑いもせず。


それからこういう症状があって、でもひとつも疑いもせずにこの5年半きて、一番最終的に去年の8月にやっぱりすごくおかしいというのと、大阪日赤でも子宮頸がんワクチンを打ちましたか?ってゆうときぐらいに、私もそのことをしらべていった時で、そのとき先生に言われたとき「あっ」と、おもってそれから調べたら症状が娘と全く同じ症状で

「良い時と悪い時の波」があって「その波がだんだんひどくなっていく」と年行くにつれて。

それが他の子の症状をいったときに全く一緒とおもって「どうしよう どうしよう」というのと、娘にそれをいったとき、この子が動画を見たときにショックうけると思って知らないふり。

それ(動画では激し動かす症状)を言わずにこっそり先生に聞いたり。

大阪日赤に来た時は「子宮頸がんワクチンの患者さん来てますか?」と質問して医師が「来てるよ」
どういう症状ですか?娘と同じ症状ですか?と、聞いたときも娘に聞こえないようにこっそり聞いた時、医師が「いっしょ」と聞いた時に「はっ~」とおもいました。


それを診断してくれる先生が大阪にはいないと聞いていてどうしたら良いのかずっと悩んでしてたし

娘自身がずっと車椅子状態で毎日しんどそうにしてた時に

たまたま、お友達に「鍼いってみて」、「いっぺん鍼いってみて」といわれてて1ヶ月ちかくは、ちょっとことわって「怖いから」
って断っていたけど

 

「鍼とにかくいって」とあまりにも言ってくれるところで、治療法も薬も病名もなにもわからない中だったから1回いってみようと思って娘に「鍼1回行ってみる? 嫌?」ってきいたら

 

「全然嫌じゃない」っていったから始めてつれてきたのが28年の9月ぐらい。

 

始めて来た日に娘は、鍼終わって5歩、歩くのもやっとのおもいでここにつれて来て、終わったあとにかわったことが

 

「声が元気になって」


「心がすごく元気になって、すごく明るくなって」

声が全然ちがうかったことと、すごくよく喋る


おじいちゃん、おばあちゃんにあった時も

「よくしゃべるな」とびっくりしたのと



主人も(娘を)家につれて帰ったら

よく喋るから「よくしゃべるな」と、

 

そこが鍼をした最初の一日目。



すごく嬉しくて、(自宅の)部屋に戻れば

這っていたんです。

 

歩くことができなくて這っていた。

握力も左手左手とも0で、スプーンを持つこともできずに、(軽いから)ずっとプラスチックの100均で買ったスプーンしか使えませんでした。

ひどい時は、食べさせていました。

 

 

携帯をずっとさわっていた娘が携帯もさわっていませんでしたが、


始めて鍼をした日に家に帰って部屋に戻ったといきに

1番最はじめに携帯をさわって、友達と喋ったことにびっくりして


「携帯もさわれるん?」携帯も(持つことができ)、言葉も元気になって。それが始めての日。



いつも朝の6時5時までずっと起きていて、

その間ずっと「痛い、痛い」「しんどい、しんどい」ってずっと言っているから。

 


私も仕事していたけど夜中ずっとさすって、

ずっとマッサージして。朝の5時ぐらいまでいつも一緒に起きていてそこから、倒れるように寝ていつの間にか。

 


私も寝て、あさ6時ぐらいから起きて私も仕事の用意をしてたし、

睡眠時間も本当に1時間~2時間の日がずっと毎日続いていました。


鍼に来た日から少し寝るのが早くなって、

「マッサージして!痛い、痛い。しんどい。」夜中。

本当に体動けなくてずっと。

 


起きるのも抱きかかえていたのが

ちょっとずつマシになっていって

 

私が夜中に手がかかる時間が

少しづつ楽になっていって

寝るのも、私も寝れるようになった時間が。


これが鍼をした日から少しづつ変わっていって、

(施術後)1週間たった頃からまたしんどいと言い出して

 

「これはアカン」やっぱり鍼連れて行かなかなアカン。と思って


1週間に1回。費用もかかるけど1週間に1回。

 

そしたら1週間の中で2日ぐらいは

夜中のしんどさも少しづつマシになってきました。



だんだん、日に日にスプーンとか箸とか自分で少しづつ持って食べれるようになった。

少しづつ歩くこともできるようになって、それがやっとこの1年。


その間に、HANS症候群(HANS:ハンス症候群)と診断されてからも

 

1月・2月・3月が突然言葉が、ろれつが回らなくて喋れなぅなって

びっりして救急車をよびました。


脳梗塞をおこしたのかとおもったからです。



脳梗塞ではありあせんでしたが、

家族とご飯を食べていて食べ終わった時

「なんで私がここにいるのかな?」


「自分の家族ではない」と、

おもって出ていこうとするんです。
それを引き止めていました。

 

このような症状が1月から3月までずっとあって、

その間は救急車で何回も大阪日赤に行ったり、

救急で夜中つれていったり、

胃の痛みで連れて行ったりしていました。


4月ぐらいから少しづつ言葉の障害とか、

記憶力がマシになってました。



その頃とくらべて、

ちょっとづついろんなことができるよになっています。



梨本:今はどのぐらいの時間歩けていますか?

高原さん:

近くのコンビニは毎日歩くようにしていました。
体調が良い時は、車で迎えに来てもらってだけど友達とご飯食べにいってます。
ママと買い物いったりとかできるようになりました。

 


梨本:ダイエットもできるようになってきましたね

高原さん:ダイエットもできるようになってきました。

 


梨本:ダイエットでトランポリンの上で

高原さん:

トランポリンの上で1日10分から多いときで最高30分

足踏みでウォーキングのように腕振りながらしています。


しんどいときは10分。しんどくない時は20分。

あともうちょっと行けると思った時は30分。



そのあとお風呂に入って半身浴10分から

最高40分まで半身浴をしています。

 

 


梨本:仕事もアクセサリーを作る仕事も始めて

高原さん:そう


梨本:創作と制作と


高原さん:そう全部。販売と。

仕事をはじめられたのは何か変化があったのですか?


高原さん:

この1年間しんどいけど、悩みの1つが
「このまま一生仕事できないのは嫌だ」というのがありました。

(正社員で)仕事ができても、またしんどくなるし、

(今のままでは)どうせ続けられないと、思っていました。

この先(病気が)治るまでは。

 

いつ治るかわからないと言われている状況で

何の仕事したらよいのか(考えていました)

周りの人は、元気になったら

バイトに1時間でも、2時間でも週1でもいったらよいのでは?

と言ってくれたけど
それで何か残るのかな?

 

将来に役立つのか?と思ったときに、何も役に立たない。

 

1年間、ずっと考えて考えて考えてやっと見つけたのが家で自分で仕事をしようと思って(アクセサリー作りを)ママに相談したら、大賛成だったからはじめました。




梨本:(お母さんに)どうでしたか?娘さんはずっと起きれずに寝ていたり、記憶が飛んだりとかコンビニでも倒れたとか色々ありましたが


お母さん:

心配で心配で(記憶が曖昧なときがるので)名札を付けておかないといけないと思って本当に


梨本:それが今自分で仕事を開拓してやっているのをみて

お母さん:

そう、今でも完全に治ったわけではないから、近いうちに伊勢の赤十字病院は行こうと思っています。

大阪日赤病院で7月に、「診察できません」と断られたんです。
この病院ではできませんから伊勢の赤十字病院に行ってください。

 


大阪日赤へは、救急で来院したら痛み止めを打ってあげます。

でもそれ以上のことは何もしてあげれない。



いままで救急できていたけど、

数値はたくさん悪いところが出ているかも。

「そのとき救急の先生は、どこも悪くないですよと言った」と、私が言ったら

 

「救急で来るほどの、すごく悪い今すぐ何かしないといけない数値ではない」から「どこも悪くない」といっただけであって実際は、悪い数値がたくさん出ている。

このデーターは伊勢の赤十字病院に送っておきます。
だから伊勢にいってください。



「救急で痛み止はしてげるけど、それ以外の診察では来ないでください」

と断られたので伊勢に行こうとおもっています。
検査でどのぐらい良くなっているのか



高原さん:

悪くなっている所もあるかもしれないし

お母さん:

ただ毎日毎日不安はあって、(1月~3月)記憶が消えていっているのを見ていて、友達の名前もわからないから、一時友達からの電話を受けなかった時がありました。

なぜかというと、友達が誰かわからないから受けても「誰って」聞けないし、中学校の時の友達といってもわからない。

わからない。

しばらく連絡をしてない時期がありました。


4月5月からしっかりしているけど、

何時またそれがおこるのかなとか、(発病後)まだひとりで電車にのったことがなくて

ひとりで出かけたときに突然わからなくなるのでは

と思ったらどうしても、過保護じゃないけど、どうしても一人で外出させるのが怖くて。
というのが今も今もやっぱりあります。



梨本:なるほど。

今、体が動けるようになってきたのは実感されていますか?


高原さん:

変化は、しんどいときのことはあんまり覚えていません。
みんなにかわった?とか しんどくなくなった?とか聞かれても

正直わからないけど、最初のころよりは意欲。
一番かわったのが「欲求」。物欲がでました。


以前は物欲もなく、ママと服を買いに気晴らしに行こうと誘われても「いらん」

ショッピングモールも嫌とことわっていましたが、今はアレほしい、これ欲しいと言うのが増えました。


痩せたい気持ちも増えました。そう考えたら欲求が増えました。

体調面の変化は正直あんまりわからないというよりは、どれだけしんどかったのか辛かったのかもう覚えてない、ませんが大変だったのはわかるから


そうおもったらだいぶんマシになりました。

子宮頸がんワクチンの副作用でで悩んでいる方、困っている方、どこにいったらわからない方もいるかもしれないのでその方たちにメッセージをお願いします。


高原さん:

しんどいこともいっぱいあるし、周りにも(理解されずに)信用なかったり、医師も信用なかったり、私も医師に対して信用できず嫌いでした。

でも、一人この人は信用できるという、お医者さんを見つけてその先生についていって、鍼の先生でもいいし。


今、(鍼をして)1年ぐらいだけどよかったなと思っています。



信じて通ってがんばったら、(私は)まだ治っている証拠(症例)にはなれてないけど、ここまでよくなれた証拠(実例)にはなれるとおもうから、がんばってください。


梨本:(子宮頸がんワクチンの副作用の症状に対して楽になる)方法が無いわけではなくて


高原さん:

ぜったい(楽になる)方法があるはずだから、自分にあった先生。病院を見つけて(治療を)したらよいと思うし、(私は)ここの病院(鍼灸院)に来て正解でした。


梨本:お母さんからみてどうですか?


お母さん:

鍼のことを私も全く知らなくて、本当に1ヶ月ぐらい悩んみました。
なんだか怖いというイメージがすごくて。

でも、治療法が何もなくて病院もお手上げ状態で、本当にどこにいったらよいのかよいのかさまよっていたから、ここに「騙されたと思って行って」と紹介してくれた人があまりにも熱くいってくれて本当に来てその日に明るくなった。


心が明るくなったというのがすごく一番で、信じていこうと思って1年間。



12月にHANS症候群(HANS:ハンス症候群)と診断された時に、

かかりつけのお医者さんがちっちゃい時から診てもらっている先生がいて。


そこに行った時その先生に

「今回HANS症候群(HANS:ハンス症候群)と診断されました」

と、12月の終わり頃言ったとき、その先生が
泣いてくれて「ごめんな。ごめんな。」すっごい謝って「全然気づかなかった」



今までのカルテを振り返ってみたら、いっぱい言ってきている、手が震えるとかずつうや熱がずっと続いているとか

めまいがするとか色んな症状をいってきているのに「なんでおかしいな?」「なんで気づいてあげられなかったのか」と、「ほんとゴメンな」って

すごく泣いてくれたんです。


自分の娘ならどうするか?と、考えたときに「僕は西洋医学はしない」「ぼくは東洋医学を受ける」僕は鍼と漢方薬を出す。


今、鍼を(平成28年)9月からしているんです。というと


そしたら、漢方薬を飲みながら鍼をすると効果はもっと増す。といって、「鍼と漢方薬を絶対して」


今進められている西洋医学の治療法は「ステロイド剤の投与」あとは、
「血液を一回外に出し癒着(ゆちゃく)、悪いものをとりだして血液を戻す」

それを1ヶ月入院した中に6サイクルして元気になって退院するけど、また元に戻って
結局それの繰り返しで治ってない。

「絶対やらないでください」とにかく鍼と漢方薬。
「僕の子供ならそうする」と言ってくれて。


それで、鍼はやっぱりまちがってなかったと、その時もう一回確信して絶対に信じてます。

このあいだ娘に、「鍼の先生と出会ってなかったらどうなってたやろ」といったら
「私死んでる」と、いって


笑い



先生がいなければ死ぬはと言ってたから


梨本:漢方薬のまなかった

高原さん:薬、大っ嫌い



お母さん:でも本人が、「先生(梨本)と出会ってなかったら死んでる」という言葉が一番かな?
ここに来て

高原さん:「先生いなかったら死んでる、多分病院に入院しているずっと」

お母さん:薬づけで


梨本:今度もずっと私も病気をみながら体調管理をがんばりますので

高原さん:がんばってください。

お母さん:なんでやのん


高原さん:あんたが、がんばらなあかん


梨本:そう思って頑張りましょう。



ありがとうございました。

 

 

動画 子宮頸がんワクチンの副作用から元気を取り戻した高原さん

編集後記

子宮頸がんワクチンの副作用を楽にすることができますか?

 

この質問から高原さんへの施術が始まりました。

 

恥ずかしながら初めて耳にしたので

即答は避け師に相談すると

 

「できる」というので施術を引き受けました。

 

 

どこから手をつければよいかも

解りませんでしたが、大まかな施術方針は

体温調節で、ホルモンバランスを整える事でした。

 

 

初日初めて、高原さんに対しておこなったことは

歩行の補助です。

 

入り口からベッドまで

自立して歩くことも困難だったからです。

 

意思の疎通もっままならず

経過などは、お母さんとのやり取り

 

 

あとは、脈(みゃく)と語り合いました。

 

 

施術の経過を耳にするまでは、僕自身も不安だったのです。

 

これは、ギックリ腰でも、肩こりでも

楽になったといっていただくまで

安心できないのですが

 

 

意識が朦朧とした状態だったので

その判断もその場ではっきりわからなかったからです。

 

 

でも、会話の中で「先生にあっていなかったら」

と、いっていただけたことは

鍼灸術を授けてくれた師に対して感謝して止みません。

 

 

会話の中で、医療への不振と鍼灸への期待が大きいのもわかりましたが、守備範囲が違うだけです。

 

今回医療によりワクチンの副作用が起こりましたが、医療があればこそ病気の判断もできるのです。

 

全国に、子宮頸がんワクチンの副作用で苦しんでいる人、

どうしたらよいのかもわからない人が多いと思います。

 

しっかり診てくれる医師を探すことから始めてください。

 

 

僕は、微力ながら「あなた」や「あなたの娘さん」が

元気になるお手伝いができればと強く思います。

 

鍼灸は怖いというイメージがあるかもしれませんが、

変わろうと思うなら、変えたいと望むなら

 

少しだけ勇気を出して欲しい

 

 

 

波鍼灸整体院へのアクセス

 

JR放出駅から徒歩約3分以内

 

駅からは下記の地図を参考にしてください。

 

JR放出駅から.jpg

 

 

 

 

この記事をせきにんを持って書いたのは
波鍼灸整体院院長 梨本光久

JEpCMeAynxMzUq21490662872_1490662909.jpg 国家資格 鍼灸師・柔道整復師・あん摩マッサージ指圧師 

 

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